いつもブログをお読みいただきありがとうございます。
今お読みいただいているみなさまは、ある程度継続してお読みいただいている方々がほとんどだと思っていますが、みなさまがこのブログを読んでいる理由って何ですか?
きっとこのブログの何かに興味があり、自ら進んで読んでいるものと推測します。
誰かに「このブログを読め」と言われて仕方なく読んでいる人なんて、まずいませんよね。
今お読みいただいているみなさまは、ある程度継続してお読みいただいている方々がほとんどだと思っていますが、みなさまがこのブログを読んでいる理由って何ですか?
きっとこのブログの何かに興味があり、自ら進んで読んでいるものと推測します。
誰かに「このブログを読め」と言われて仕方なく読んでいる人なんて、まずいませんよね。
私はこのブログに書いているようなテニスに対する考えを持っていて、これを実行すれば誰もがもっと上達できると自負していますが、だからといってある特定の誰かを上達させることなど基本的には出来ないと考えています。
たとえそれが我が子であっても、相当に難しいことです。
なぜなら、誰が何を言おうとも、本人に聞く気がなければ心にまで届かないからです。
例えば私が、自分のテニスブログを10人に紹介したとします。そのうち3人は興味を持ってくれて、7人は関心を示さなかったとしましょう。
この7人については、私の力ではどうすることもできないということです。
どんなに私のテニス理論を力説しても、むしろ面倒くさがられるだけで逆効果です。
私ができるのは、興味を持ってくれた3人のテニス上達の手助けだけです。
無論、これは私のコーチング能力の低さのせいでもあるかもしれません。真に優秀なコーチであればその人に興味を持たせるところから可能なのかもしれませんが。
学校での授業中、いつも一部の人がお喋りしている状況があるとします。
そこで先生が「静かにしなさい!」と注意をします。
これ、実はほとんど効果がないんですよね。
先生の注意を素直に聞く子というのは、先生の言うことを聞こうとする意志を持っている子なので、そういう子というのはもともと静かにしている場合が多いんです。
騒いでいる子は、そもそも先生の言うことを聞く気がない子だから意味がないのです。
きつく叱れば一瞬は大人しくなるでしょうが、何ら根本的解決にはなっていません。
学校に限らず、注意とか助言などといったものは既にできている人(=注意する必要のない人)にばかり届いて、本当に届いてほしい人にはなかなか届かないものなんです。
だから、私は自分の方から他人にテニスのアドバイスをすることは滅多にありません。時間の無駄に終わるのが分かっているからです。
アドバイスの内容が正しいか間違っているかなどは関係なく、その行動自体が間違いなんです。
私がアドバイスをするケースとは、相手から私にアドバイスを求めてきた時か、もしくは(求めてこないまでも)明らかにアドバイスを欲しがっているだろうな、と感じる場合だけです。
こういうケースであれば、相手は聞く耳を持っているはずなので自分のアドバイスが活きることもあるんじゃないかと思うのです。
人は、自主的にこうしようと考えて動かなければ何も変わりません。
このブログも、もしかしたら私が本当に読んで欲しいなと思っている人に限って(ブログの存在自体は知っていても)読んでくれていないかもしれません。
でも、それは仕方のないことです。私の意志ではどうにもならないことです。
そういう人に無理やり読ませても何の意味もありません。
私はこの人のテニス上達の手助けはできませんが、みなさんのテニス上達の手助けならできます。なぜなら、今この記事を目にしているみなさんはきっと私のテニス理論に興味を持っているはずだから。
たとえそれが我が子であっても、相当に難しいことです。
なぜなら、誰が何を言おうとも、本人に聞く気がなければ心にまで届かないからです。
例えば私が、自分のテニスブログを10人に紹介したとします。そのうち3人は興味を持ってくれて、7人は関心を示さなかったとしましょう。
この7人については、私の力ではどうすることもできないということです。
どんなに私のテニス理論を力説しても、むしろ面倒くさがられるだけで逆効果です。
私ができるのは、興味を持ってくれた3人のテニス上達の手助けだけです。
無論、これは私のコーチング能力の低さのせいでもあるかもしれません。真に優秀なコーチであればその人に興味を持たせるところから可能なのかもしれませんが。
学校での授業中、いつも一部の人がお喋りしている状況があるとします。
そこで先生が「静かにしなさい!」と注意をします。
これ、実はほとんど効果がないんですよね。
先生の注意を素直に聞く子というのは、先生の言うことを聞こうとする意志を持っている子なので、そういう子というのはもともと静かにしている場合が多いんです。
騒いでいる子は、そもそも先生の言うことを聞く気がない子だから意味がないのです。
きつく叱れば一瞬は大人しくなるでしょうが、何ら根本的解決にはなっていません。
学校に限らず、注意とか助言などといったものは既にできている人(=注意する必要のない人)にばかり届いて、本当に届いてほしい人にはなかなか届かないものなんです。
だから、私は自分の方から他人にテニスのアドバイスをすることは滅多にありません。時間の無駄に終わるのが分かっているからです。
アドバイスの内容が正しいか間違っているかなどは関係なく、その行動自体が間違いなんです。
私がアドバイスをするケースとは、相手から私にアドバイスを求めてきた時か、もしくは(求めてこないまでも)明らかにアドバイスを欲しがっているだろうな、と感じる場合だけです。
こういうケースであれば、相手は聞く耳を持っているはずなので自分のアドバイスが活きることもあるんじゃないかと思うのです。
人は、自主的にこうしようと考えて動かなければ何も変わりません。
このブログも、もしかしたら私が本当に読んで欲しいなと思っている人に限って(ブログの存在自体は知っていても)読んでくれていないかもしれません。
でも、それは仕方のないことです。私の意志ではどうにもならないことです。
そういう人に無理やり読ませても何の意味もありません。
私はこの人のテニス上達の手助けはできませんが、みなさんのテニス上達の手助けならできます。なぜなら、今この記事を目にしているみなさんはきっと私のテニス理論に興味を持っているはずだから。
2018/09/25 (火) [理論・考え方]
ゆうさんのブロクを見て勝手に関連づけていますが、最近、自己決定という言葉を知りました。
自分で決めることが、幸福度につながるという話の様です。
大人なら、世間のしがらみでいやいややるか、考えを切り替えて、積極的に自分からやろうとするか、気持ちの持ちようで幸福度が違うのかなと。結果、成果も良ければもっといいですしね。
子供なら、なおさら自己決定の場面は少ないので、親がそう仕向けることで、良い方向に行くのかなと理解しました。
自分で決めることが、幸福度につながるという話の様です。
大人なら、世間のしがらみでいやいややるか、考えを切り替えて、積極的に自分からやろうとするか、気持ちの持ちようで幸福度が違うのかなと。結果、成果も良ければもっといいですしね。
子供なら、なおさら自己決定の場面は少ないので、親がそう仕向けることで、良い方向に行くのかなと理解しました。
おっしゃる通りだと思います。
ただ、たとえ我が子であってもそう仕向けるのは容易ではないと、子育てを通して痛感します。テニスを好きになってもらおうとあれこれ工夫しても、そう親の思いどおりになるものでもないですね。
親がテニスが好きならなおさら、子供にもテニスを楽しんで欲しいという気持ちが出てきますが、テニスへの執着を捨てて、子供が自発的に始めた「本当に好きなこと」に気付いてあげてそっちの方を伸ばしてあげる方が、子供は幸せになるような気がします。
無論、その対象がテニスであれば親としては尚嬉しいんですけどね。
ただ、たとえ我が子であってもそう仕向けるのは容易ではないと、子育てを通して痛感します。テニスを好きになってもらおうとあれこれ工夫しても、そう親の思いどおりになるものでもないですね。
親がテニスが好きならなおさら、子供にもテニスを楽しんで欲しいという気持ちが出てきますが、テニスへの執着を捨てて、子供が自発的に始めた「本当に好きなこと」に気付いてあげてそっちの方を伸ばしてあげる方が、子供は幸せになるような気がします。
無論、その対象がテニスであれば親としては尚嬉しいんですけどね。
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